物部長順の生い立ち

5.独立初期の失敗

26才で結婚。これを機に退社し㈲モノベ金属加工を創設。最初の製品は当時不足していたコンパネ(建設用厚手のベニヤ板)の角の補強金具を作り、これを取り付ける小型プレス機と共に建設会社に売り込みし受注する。同時期、以前出向した家電メーカーより製品開発の依頼も来た。私が設計した物で他社より安く作れる部品は私が作る約束で受諾する。(作り方を考えながら設計するので大きな利益となる。私が開発した蒸気の出る整髪用のコテや頭髪全体を覆うドライヤーがヒットし、私はこの社の主要な嘱託技術者と成って行く)

2年後、この社の社長が急死すると同時に業績も急落し始めるがこの頃の私は有頂天で自己中心、この現状も周囲の人達のアドバイスも全く耳目に入らなかった。その後一年足らずでこの社は倒産し、私の手元には不渡り手形と売掛金の合計で、約3600万円の未収の金額が残る。(30才頃の出来事)

世間知らずの私に銀行は言葉巧みな甘言で割引手形を全額買い戻させ、あとはポイ捨て、己を見失なった末の大失敗だった。(倒産を回避出来たのは明の為と無駄な出費をしなかった事と、外注先が買掛金額の3割~5割の削減をしてくれた事にあった)この2年後、アメリカの家電メーカーより大型ミキサーのフィンを受注する。(複雑な形状で高い精度が要求され、私は加工と検査の方式を大幅に簡明化する改善策を考案、中古の機械類を買い集め、これを専用自動加工機に作り変え、パートの人達で大量に製造し輸出する)。間もなく多くの外貨が入り前述の外注先の減額金も返済する事が出来た。人との繫がり、周囲の情勢の見極め、チャンスを捉える判断力がいかに大切かを思い知る。